最近見た夢のなかでの出来事

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    最近見た夢のなかでの出来事。自宅のリビングがどっかでテレビを見てるような、いたって普通の日常。テレビでは、途中からこんなことを言い出す。

    「それではこちら、外国人とのコミュニケーションをスムーズにするために心がけたい行動ランキング〜!」

    たとえば、文化や価値観を否定するなとか、相手の国の食べ物を食え、とか。そんなアドバイスがテロップと共に次々登場。いかにも情報バラエティらしい、誰のためになるのかよくわからない、ふわふわしたテーマで番組は進行する。

    その中で「さえといわない」というテロップが登場した。???最初は意味が分からない。どこで区切ってどう読むかすら迷う。夢のなかの僕は「さえいとわない?」と、間違った文字の順番で発音する。番組のひな壇からも似たようなツッコミが出る。すると、アナウンサーが「これは『(相手の国の名前)さえできるのだから、我が国も当然できる』のように、相手国を蔑むような発言をするべきではない、という意味です」と説明する。それを聞いて僕も、ああ、なるほどそういう使い方の『さえ』か。さえ、と言わない。ということか、と納得する。

    ここで状況を整理したい。これは僕の見てる夢のなかの出来事だ。夢で起きている物語は自分が過去に体験した出来事や記憶がランダムに構成している、と聞いたことがある。とくに最近は食文化だとか外交問題を題材にした本を読んでいたから、わりと近い記憶が集まって物語になっているようだ。このテレビ番組もアナウンサーも、僕がつくりだした登場人物。「さえといわない」のテロップも僕の記憶にあったものだ。

    物語はチープだけど、一応ちゃんと成立している。つまりこの物語は、結末を最初から知っていないと作れない

    ところが、僕はこれをあくまで番組が考えたアイデアとして見聞きし、最初は意味がわからず、テレビの説明を聞いて、なるほどと思った。「それだったら『さえをつけない』のほうが的確では?」と、つっこんでさえいる。これはどういうことだろう。

    夢のなかの自分が、実世界とは違った記憶や概念を持っていることはたまにある。空が飛べる、という設定の世界では、空をとぶ際の微妙な身体バランスを把握している感覚がある。
    また、夢のなかの登場人物が、自分が意図しない行動をとることもある。すれ違いやケンカも、現実世界同様に起きる。

    夢のなかでアイデアが思いつくこともある。目が覚めても覚えていればすぐにメモするが、後から冷静になって見てみるとろくなアイデアじゃないどころか、意味がわからない場合があるのも確かだが。

    だけど、今回のケースはどれとも違う気がする。誤解を恐れず言えば、ミステリーの作者がミステリーの主人公になったようなパラドックスが発生している。たんに以前同じことを考えたことがあって、それを忘れているだけかもしれないけど、それにしては設定が少々出来過ぎだ。こんなこともあるのか。

    夢は未だに解明されず、研究が続く分野と聞いたことがある。今回は我ながら貴重な体験と思ってメモをとった。駄文を綴っている最中、デスクの後ろでは飼い犬が寝ながら手足を激しくばたつかせている。足腰もろくにたたなくなってきた老犬だけど、夢のなかでは元気に走り回っているに違いない。




    お金を考えた人が、まずお金を使わせることを考えたとしたら。

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      大昔の商取引は物々交換で行われていた。物々交換だと、モノとモノが等価かどうか見極めづらい。自分のイノシシのほうが大きい!とか、うちの魚のほうが数があるしそもそも俺は肉が嫌いだ!とか、おそらく揉め事やケンカが絶えなかったに違いない。また、モノはかさばるし保存性もよくない。そこで、貝殻や石、決まった動物や穀物で価値をわかりやすく統一してみたら、流通がうまくいった。貨幣制度が誕生しなかったら、今ほどの流通の発展はなかったであろうことは、専門家じゃない僕でもなんとなくわかる。

      しかしこの貨幣制度、物々交換の時代には存在しなかった概念を作り出している。売手と買手の関係だ。以前はイノシシを持っている方が偉いとか、魚持ちは神様です、なんていう考え方はなかったと思う。多くの場合、取引の立場が上だったのは商品をより多く持っている側だったはずだが、それでも曖昧だ。

      ところが、貨幣制度の登場で立場が明確になった。お金を支払う側が「クライアント」、商品を提供する側は「ベンダー」。そして、この主従関係こそが、お金を考えた人が実はこっそり企んでたコトなんじゃないかと考えてみる。

      たとえば、米。米は長い間日本の貨幣として扱われてきた。「石(こく)」という米の単位があるけど、これは同時に国の経済力を表す単位にもなっている。
      効率よく米を作るためには連携が必要。そこでアタマのいいやつが登場して、まとめ役を買って出る。彼をリーダーとして、組織が生まれ、米を経済の中心にした国ができあがる。
      ところで、こいつは米で周りを支配できることに自分で思いついただろうか。こいつをリーダーに仕立てあげた黒幕が他にいるんじゃないか?財産力のある顧客を安定確保したほうが、結果的に経済の支配者になれると気づいた何者かが。

      価値が安定してて、あらゆる物品と交換できる唯一のモノがお金ということになったんだから、矛盾するけど、価値が同じならお金のほうが価値がある。向こうでイノシシも売っているけど、あえてキミのサカナを選んだんだよ、感謝しなさいよ。ということで、実質的にも心理的にも、支払うほうが立場は上になる。商品の価値やお互いの経済事情、需要度なんかをすっとばして、単純に「金出すほうが偉い」という心理がクライアント側に働く。

      サービスを提供する側に立てば「店と客は対等だ!」と言いたくなりそうなところだが、多くのベンダーはこの関係を容認し、むしろ発展に貢献してきた。品質が下がれば「お客様は神様です」とうたって機嫌をとることで、対価の差を埋めることができる。商売で儲けるには、客の立場が上のほうが都合がよいわけだ。

      結局、お金を発明した人の最大の功績は「お金を持っている方が社会的に有利」という現象を作ったのではなく、そう錯覚させ、積極的に流通に参加する人たち、つまり「消費者」を創りだしたことだったんじゃないかと思う。よくもわるくも。

      資本主義は自由と平和の象徴のように思えるが、膨大な資産をもつ者、あるいはそれを操作する者が政治や経済に強く関与できる危険な社会ともとれる。情報は都合よくコントロールできる。ロビイストの地下活動に、僕らの日常生活がどれくらいの支配を受けているのかは知る由もないが、知った所で「あなたは神様お客様ですえらいんです」と言われれば、喜んで優良な消費者に戻っていく。誰かの手のひらで転がされている感覚もとくにない。

      さて、ある日宇宙人がやってきて、食べ物や土地を紙切れや数字で取引する地球人の姿を見たときに、「コイツラカシコイ!」と思うか「ドウシテコウナッタ?」と思うか、とても興味深い。



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