つくおき春雨

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    春巻きを仕込んで、朝弁当を作る嫁にバトンタッチ(見ればわかるべ)。手前4つがブサイクなのは、酔っ払ってるからではなく、皮を半分に切ったため。




    つくおきにはまる

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      べつに、食いたいわけじゃないけど、作りたくなる特がある。そんな時、便利な技を思いついた。息子の弁当のおかずをつくおき、という名目で作ればいいのだ。 今日は、ブロッコリーの芯をザーサイ風にする。唐辛子が効きすぎて、ちょっと辛い。




      夏といえば海?山?正解は「塩」だ!

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        気づけば夏。ただでさえフィジカルの弱いデザイナーという人種から、水分とともに体力と集中力を根こそぎ奪っていく夏。体調を崩さず乗り切るのは大抵のことじゃない。とくに熱中症は怖いので、個人的には定期的な水分(という名のビール)補給のほか、適量の塩分摂取を心がけている。

        思えば「減塩」はブームを超えて健康のデフォルトになった風潮があるが、そのせいだろうか、塩というのは調味料としてみてもあまりフューチャーされず、サッカーのDFさながら、地味なポジションに甘んじているように思う。スーパーで見つけた「減塩しお」という商品は、むしろオウンゴールしてる気もするが、世論をわかりやすく象徴している。



        塩は、それ自体は栄養にならない。カロリーもないし、ビタミンもない。じゃあなにをするかというと、摂取した栄養素を体内に取り込む役割をもっている。用が済むと代謝され体外に排出される。うん、やはり地味だ。しかし、これは言葉以上に重要な役割。逆に言えば、塩分が不足すると、せっかく取り入れた栄養をうまく吸収できないのだ。人間だけじゃない。肉食動物も草食動物も、鳥も昆虫も、方法は違えど必ず何らかの方法で塩分摂取を行っている。塩分がないと生命は維持できない。

        世界経済は「塩」から始まった、かも?

        日本人的な感覚かもしれないが、塩というのは海からいくらでも採取できる無限の調味料のように思っていた。ところが、実際に塩を安定供給するには相応の工夫があった。「敵に塩を送る」とは、上杉謙信が武田信玄に塩を援助したという逸話に由来するが、実際塩が入手困難なケースはよくあったそうだ。木を切って海に流して回収して焼いて、それでなんとか塩を集めてた地域もあるらしい。海に囲まれた日本でもそんなだから、世界的にはもっと死活問題。多くの地域で塩といえば岩塩。石油と同じで、取り続ければいつか枯渇する。最も重要な栄養素でありながら有限。その貴重さから、塩は国が管理するケースが多かったようだ。サラリーマンやソルジャーの語源が「塩を得る人」に由来するという逸話がある。なるほど、そう考えると、経済や戦争は塩を中心に動いていたと言っても、あながち言い過ぎではないかもしれない。現代の科学的な製塩方法がなかったら、人は今でもお金の代わりに塩で雇われていてもおかしくはなかった。いや、それは言いすぎか。



        サラダの語源も「塩」

        この季節は、コミュニケーション能力が欠乏しているくせに家庭菜園に手を出した人間(筆者)は悩むことになる。夏野菜を畑いっぱいに植えた最初の収穫は実に楽しい。「初物は笑って食え」と、トマトもきゅうりも恵方巻きよろしくまるかぶりしていたが、大量収穫が2度3度と続くと、そろそろ困ってくる。とくに今年は茄子の勢いがすごくて、既にありとあらゆる献立を試したが、畑には既に次の軍勢がすずなりで待機していて、いっこうに減る兆しがない。嬉しい悲鳴だが、このままだとプールに入ったわけでもないのに唇が紫色になりかねない。対策を講じねば。

        夏野菜を効率よく消費しつつ、しかもウマイ食い方とは?茄子はともかく、トマトや胡瓜なんかは、そのままばりばり食ってしまえばいい。もぎたてのトマトの甘み、フルーツのような香り。筆者の粗末な腕でもできる、全然いがらっぽくないみずみずしい胡瓜。茄子は、焼き茄子や蒸し茄子がシンプルでいい。いずれもそれだけでじゅうぶんうまいが、塩があるとなおのことよい。野菜を塩で食う。実は、これがサラダのはじまりだそうだ。

        今でこそサラダといえば、ドレッシングが主流だが、そもそも「サラダ」は「塩をかける」という意味。某タレントの「エビフライはタルタルソースを食べるための棒」発言に驚いている場合じゃない。サラダもまた、塩を摂取するための触媒だったわけだ。

        塩に近い?「トスサラ」

        さすがに塩での味付けは単調であり、バリエーションを楽しみたくなるのが人情。かといってドレッシングドバドバは、なんというか、野菜に申し訳ない気もする。何か良い方法はないか。

        そんなことを考えていたら、これまたスーパーで面白いアイテムを見つけた。味の素の「トスサラ」というドレッシング。ドレッシングといっても、オイル状ではなく、どちらかというとふりかけに近い。もいできた野菜を適当に切って大量に皿に盛り、トスサラをこれまた適当にふりかける。これだけでも結構オサレ感があるから便利。サラダフォークでまぜると、水分の少ない野菜ともよく馴染み、しっかりと味がつくのに素材の味を損なわない。オイルのように液ダレしないのもポイント。液状だと物理的に下に移動してしまい、総じて必要以上に使う傾向になるし味にムラも出る。比べると、トスサラのほうがサラダのフレーバーとしては理想的かもしれない。むしろなんで今までなかったんだ?と、思わずつっこみたくなるが、ドラえもんのひみつ道具「フエルミラー」を放置したかの如く、ねずみ算式に野菜が増え続けるこの季節、こういうアイテムは断然ウェルカムだ。


        3タイプのフレーバーからお好きなものを。イタリアンバジルは使い勝手がいいな。

        繰り返しになるが、夏だ。クライアントの無茶ぶりが熱帯夜とともに睡眠を奪う夏。まだはじまったばかりの夏。畑の作物共に負けず劣らず、精力的に過ごせるよう、適度な塩分摂取を心がけたい。ただし、ギャラは塩ではなく「円」でお願いします



        市販食材だけ!本格的な自家製ラーメンを速攻で作る。

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           最近はテレビCMなんか見てても、インスタントの袋麺はよく見かけるけど、「カップラーメン」に勢いを感じない。近所のコンビニでも、数年前のラインナップに比べると、カップラーメン自体の種類が少ない。具体的に言うと、味や素材にこだわった、ちょっとお高めのカップラーメン系が軒並み姿を消して、昔ながらの低価格フライ麺なんかがほぼ売り場を占めている。流行ってことでしょうか。

          湘南ラーメンに、デフォでワカメが乗っているのはなぜか。
          湘南に住んでて困るのは、「うまい!」と思えるラーメン店が、都心に比べて極めて少ない事。出汁はそこそこ味は濃い目。というかしょっぱめ。自家製麺をうたう店が多いが、そのせいか熟成が足りないケースが多い。若い麺は粉っぽく旨味がない。そして、トッピングには例外なくワカメが乗っている。なんで?都心ではあまり見かけないタイプだ。
          嗜好の違いなのか、競争率が低いからなのか分からないけど、中野、新宿、西麻布、六本木を拠点にジャンキーな生活を10年余り過ごしていた経験のある筆者にとって、湘南地域で食べるラーメンはおせじにもレベルが高いとは思えない。一時期は「昼食べたから、夜は止めておくか」というくらい、ほぼ毎日食べていた西麻布の博多ラーメン店「赤のれん」も、今となってはたまの打ち合わせで上京する際の、お楽しみのひとつにすぎない。

          生麺タイプで起死回生
          そんなラーメン砂漠の湘南地域でも、実は工夫次第で本格的なラーメンを楽しむことができる。カギを握るのは、どこのスーパーでも買える「生麺」タイプのラーメン。だいたい2〜3食くらいがセットになって、スープも同封されている。作るには麺をたっぷりのお湯で茹でるなど、インスタントに比べると少々ハードルが高い。具はなにもついていないケースが多いので、その点においてはむしろカップラーメンに軍配が上がる。少々微妙な商品だが、バリエーションは多く、味の点でカップ麺や袋麺を上回る。しかも、ポイントを抑えるだけで調ウマイ本格的ラーメンに変貌するから侮れない。ぶっちゃけ「湘南でラーメン食うならイオンに行け」というくらい、生麺タイプのラーメンは優れていると思う。


          スーパーの食材(出来合いも含め)だけで作る、即効本格ラーメン。今日はたまたまセットが売り切れていたので、麺とスープをバラで購入。こういうカスタマイズ性も、家ラーメンの楽しみのひとつ。



          ポイントといっても、たいしたことは全くなく。レシピを詳しく書くまでもない。筆者が抑えるべきポイントと思っているのは、

          ・スープは、表示より薄めに作る(かわりに昆布をひとかけ煮るとさらによい)
          ・スープに砂糖をすこし入れる。(3人前に対して1さじ程度)
          ・すりおろしにんにく(一欠)をスープに入れる。


          ぐらいのもの。砂糖は家にあるものと想定すれば、あとはスーパーでニンニクを一緒に買えば準備OK。これは生麺に限らず、インスタント麺でも応用可能。超便利!そんでもって、超ウマァイ!うそみたいに劇的に変化します、マジでマジで。ぜひお試しあれ。

          トッピングも速攻!
          ネギをごま油でゆっくり熱した「ネギ油」やエビを料理した際に取り除いた殻をとっておいて、油で熱した「エビ油」なんかを準備しておくと一層豪華になるが、いずれも作るのに時間がかかるかな。以下は、筆者がごくごく簡単でウマイトッピングの作り方のご紹介。

          メンマ
          市販の味付メンマは独特のニオイがあるので、いったん冷水で洗い、さっと炒めて醤油を降ると、香ばしいメンマに生まれ変わる。

          チャーシュー
          モモやバラの塊肉から作れば本格的だが、食べられるのは翌日になる、それより、バラのスライス肉を80℃くらいのお湯でボイルして、砂糖と醤油のたれに漬けてしまうのが早い。作り始める最初に仕込めば、ラーメンが出来上がる頃には塩梅良く仕上がっている。たべるぶんだけ仕込めるので、無駄がなくて良い。

          煮玉子
          上記のチャーシューだれにゆでたまごもぶっこんでおけば、即席煮玉子になる。少し余分に作っておけば、翌日は味がしみててさらにウマイ。新しい卵の場合、茹でる時間が短いと殻がむきづらいので注意。



          あとは、適当に野菜なんかをぱっぱと刻んで乗っけてしまえば、わざわざ駅前に出向いて食べる値段で、家族全員がそれっぽいラーメンを楽しめる。

          ところで、本格的なスープも自作する、というのは、料理に関心のある男子なら一度は挑戦したことがあるかもしれない。でも、鶏ガラやらゲンコツを大量に仕込み、何時間も煮込んでできあがったスープはソコソコ…みたいな経験も少なからず。代償として、キッチンを猟奇殺人現場のようにしたわりには、ちょっと物足りない実績だ。

          スープだって難しいんだから、自家製麺なんて、夢のまた夢。…と思ったら、最近、その麺を全自動で作れるステキグッズが発表されたらしい。


          本格的な自家製生麺を、キッチン家電で作る?「ヌードルメーカー」

          フィリップスの「ヌードルメーカー」は、ホームベーカリーにところてんを「ぎゅっ」ってやるやつが合体したような製品で、材料をぶっこむだけで全自動で生麺が作成できるというスグレモノ。その見た目やサイズ、名前からみて、ドラえもんのひみつ道具を再現するのが裏コンセプトだったのではと勘ぐりたくなるような製品が、3食入り生麺のたった120倍くらいの価格で発売されるというから驚きだ。フィリップスといえば、油を使わずに唐揚げができる「ノンフライヤー」で話題になっていたことが記憶に新しい、家庭用調理器具に先鋭的なメーカー。「ヌードルメーカー」も、一見ただの高価な贅沢調理器具で、ホームベーカリーやジューサーミキサーに続いて、いずれ使わなくなるだろう家電ワーストランキング候補と見えなくもないが、家で手打ち麺(打ってないけど)が楽しめるのは捨てがたい。実際、筆者もホームベーカリーをこきおろしていた時期があるが、手でこねるより手ごねに近かった仕上がりに惚れ込んで、今ではなくてはならない家電となっている。

          我が家も相当な麺喰いで、3日に1回はうどんやらラーメンやらパスタを食っている。そのすべてをこの製品で補えば1年で元が取れる計算になる。手打ちでも本格的な道具を揃えれば軽くウン万円飛んで行くことを考慮すれば、生活スタイルによっては十分お得。うどん県を自称している香川県で一家に一台の購入が義務付けられているのもうなずける。

          冗談はともかく、魅力的な製品であることは十分承知した。ただ、できれば似たような原理なんだから、ミンサーの機能もつけてほしかったな。ブロック肉から手軽にひき肉ができたり、自家製ソーセージなんかができた日には即日購入でしたよフィリップスさん。今後のバージョンアップに期待です。

          さて、この商品の登場背景に「カップラーメン衰退現象」のヒントがあるように感じる。食のブームは外食から中食に変化した、というのはわりと有名な話だが、今こそ「内食」の時代という声もある。家庭でもまるで専門店のように本格的な麺料理が楽しめれば、コスト削減はもとより、のびたラーメンのように冷えきってしまった家庭に温かい団欒をとりもどす、そんなきっかけに繋がるかもしれない。


          いずれ自家製麺でつくってみたいですが、今日のところはこれでよしとしましょう。では、いただきます!



          食料自給率問題問題

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             以前子供の宿題でこんなのが出た。

            「日本の食料自給率はなんと40%未満!このままだと何かあった時食べるものが不足してしまいます。食料自給率を上げるためにどうしたらよいのか、みなさんなりに考えてきてください」

            めし関連の本と読んでるとたまに出てくる食料自給率問題。小麦粉も大豆も肉類(餌が外国産だから)も外国産のため、我が国の食料自給率は先進国の中でもワーストクラスでひどい。このままだと万一の時ご飯が食べられなくなるからみんなでなんとかしよう、というアレ。

            食料自給率という指針は百歩譲って分からなくもない。人口一億三千万人を抱える先進国日本は、その胃袋を国内の土地だけで賄うにはちょっと狭い。さらに経済発展も相まって、相対的に食料自給率が下がってしかるべきというのは、専門家じゃなくてもなんとなく理解できる。なので「そういうバランスがあります」という客観的な指標として扱うだけなら、なんの疑問も生まれない。

            だけど、この食料自給率に「問題」をつけて、さも国民にかせられた課題のように教育するからよく分からない。

            農水省食料自給率問題の論法をまとめると、こうだ。

            ■世界の食べ物が危ない!
            広がる砂漠、増え続ける人口、減らない飢餓、このままだといつか地球から食べ物がなくなってしまいます。もちろん日本も例外ではありません。なぜなら、日本は食料の60%を輸入で賄っているのですから、という理論。

            ■食卓から外国産を取り除くと、あらら、こんなに減っちゃった。の図。
            一般的な献立のイラストが2枚用意されている。1枚目は通常、2枚目にはその献立から自給率のパーセント分にカットして描かれる。パンや肉はほとんど消えてしまい、味噌汁からは汁と豆腐が消え、わかめだけが残る。相変わらず自給率が高いコメのめしと、これまた100%で残ったほうれんそうのおひたしが質素感を煽る。自給率40%を実感するには、直感的で分かりやすい。

            ■このままだと日本人は飢えてしまいます。
            もし、食べ物がまったく輸入されなくなったら、今の日本人は食べ物が半分以下になってしまう。将来訪れるかもしれない食糧危機を乗り越えるには、自分の国の食べ物は自分の国で作るべき。という考え方。世界の先進国の自給率を引き合いにして、事態がいかに深刻か煽るが、そもそも海外に食料自給率という考え方はないから、農水省の自作自演という事実が悲しい。

            ■自給率を上げるにはどうしたらよいか
            自分でできる自給率向上アクションとして、魚食や地産地消をクローズアップ。給食を残さず食べるとかす好き嫌いしないで野菜を食べようとか、論点がずれてるのはまだいいとして、積極的に和食(味噌汁や豆腐)を食べようって、むしろ悪化するのでは?と思われる取組みとかをガンガン推奨してくる。いずれの取り組みも食育の観点ではよいと思うが、食料自給率問題との因果関係がとにかく怪しい。


            食料自給率は数字のトリック

            食料自給率問題を取り上げたあるキッズサイトで、質問者が「なんで食べ残しをやめると食料自給率が上がるの?」という問に対して「食べ残しを減らして、1日の食べものの量を必要な分だけにすれば、食料自給率の計算式が変わるからだよ。カロリーベースの食料自給率の計算式は、「1人1日当たりの国産供給熱量/1人1日当たりの供給熱量」です。食べ残しを減らすと、1人1日当たりの供給熱量が減るだろうと考えられています。)」と回答している。その根拠は?の疑問は置いといて、問題はこの指針が「分母が小さくなればパーセントが上がる仕組」という数字のトリックであることを堂々露呈してしまっているのは、子供だましにしても程度が低すぎる。

            ちなみにこのサイトの「作ってみよう」のコーナーで紹介されているレシピは、シチューとロールキャベツ。いずれも外国産食材を避けられない西洋料理。最後には「お好みでケチャップをかけてもおいしいわよ!」って、馬鹿にするにも程がある。

            そもそも食料自給率は供給熱量に対する国産供給熱量のパーセンテージだから、数値を100%に近づけるのは簡単。単純に輸入をやめればいい。現に発展途上国や外交がうまくいってない国の自給率はとても高い。高いが貧困だ。大切なのは、国民1人あたりの国産供給熱量の絶対数だ。割合じゃあない。


            なぜカロリーベース?


            食料自給率の指針は、実は2種類の計算方法がある。カロリーベースの計算式と生産額ベースの計算式だ。先のキッズサイトでは、カロリーベースの自給率を39%、生産額ベースの自給率を66%としているが、「※これから先は、カロリーベース食料自給率を「食料自給率」として使用しています。」の注釈に対する説明がなされていない。66%という数字は、総消費額14.5兆円のうち実に9.6兆円を国内で生産しているという、国土のわりには快挙的な数値であるにもかかわらず、最初に1度登場するだけで以後一度も出てこない。これにも農水省の魂胆がありそうだ。
            かつて農水省は農業従事者に対し積極的な減反を呼びかけた。米の価格を下げないために、作る量を減らすわけだ。一見農家への救済処置と見て取れるが、米の価格が下がって一番困るのは農協だから自衛策に他ならない。一方で輸入穀類は増加している。多くは畜産の飼料だが、これにも理由がある。海外産の安い飼料は国内畜産業を支えるために必須の輸入品だ。肉の価格は、飼料が高騰して上がることがあっても、飼料が安くなって下がることはない。
            ところが、カロリーベースの計算式は、この国産食肉を「輸入品扱い」している。飼料が外国産だからだ。当然、酪農家の飼育コストなんか関与されない。

            なぜそこまでカロリーベースにこだわるか。それは、数字が「低い」ほうが、都合がいいから。ではなぜ数字が低いと都合がいいのか、誰に都合がいいのか。誰得なのか。それはもうちょっとあとに書く。


            外食産業が壊滅すれば、食料自給率は簡単に上がる。


            正直、いくら社会の授業で小学生に地産地消を促しても、食料自給率は上がらない。流通の多くは大手食品メーカーや外食産業が担っているからだ。逆に言えば、これらが一斉に輸入品の使用をやめれば、食料自給率は飛躍的に上がる。上がるだろうが、当然企業はやっていけない。食品産業から見れば、どんな理由にせよ、食料自給率が上がればそれは経営への悪影響を意味する。


            国防を人質にした、アメリカの経済圧力

            もうひとつ、食料自給率が上がらない大きな理由は、日本経済のイニシアチブをアメリカが握っているから。アメリカからすれば日本は戦後パンと牛乳で一生懸命飼いならしてきた大手輸出相手国だ。かつて肉牛や米の自由化、昨今はTPPなどでアメリカに有利な協定を結ぼうと圧力をかけ続けている。そして日本はそれを拒めない。なぜなら、国防という人質をとられているから。隣国にピーキーなお国様が多い日本は、国内の防衛システムではちょっとばかり頼りない。仕方ないから、相変わらず日本を駐屯地扱いするアメリカに対して、ついでに国防もお願いね、テヘ!っと愛想よくしておくしかない。もし食料自給率が50%を越えようものなら、どこからミサイルが飛んでくるかわかったもんじゃないし、万一外交が一切ストップしたら、食料の問題だけじゃすまされない。


            結局食料自給率とはなんなのか


            つまるところ、食料自給率は、一般消費者ごときがなにをがんばっても絶対に上がらない数字。むしろ、上がっては困ることのほうが多い数字なのだ。ほとんどの人には無意味な数字。ところが、一部の人は、この数字のおかげで大変な得をしているかもしれない。


            食料自給率問題は、
            大手広告代理店と農水省がタッグで創りだした
            営利目的のキャンペーン

            血税をキャンペーンにつぎ込んだ農水省の小遣い稼ぎは、広告代理店にとってはオイシイエモノ。危険を煽って国民の注意を引くのと、社会貢献をうたって消費行動に誘導するのはオテノモノ。事実農水省の食料自給率対策センターは電◯内にあるというのだから疑いようがない。つまり食料自給率とは、一部の組織が儲けるために、全く関連がない2つのデータがあたかも因果関係にあるように見せかけて消費の動機にするという、マーケティングのトリックだ。それもかなり悪質な。だいたい、いちばん食料自給率に貢献しそうな、外食産業や大手食品メーカーバッシングを一切しない点で一貫性がある。これらはすべて大切なお得意様だからね。

            結局、食料自給率ってのは、バレンタインのチョコレートやクリスマスのチキンと同じだったというわけ。まあ、そういう意味では平和の象徴といえるかもしれないけど。いすれにしても、小学校の社会の授業で真剣に語り合うテーマにするべきでないね。



            「差別」を味わう

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              普段なにげなく食卓に並ぶ肉。ちょっと前までは生きて地上を闊歩していた動物達だ。我々は日常でそれを意識することは少ないが、つまり、誰かがそれを殺し、肉に加工していることになる。

              日本がまだ仏教の影響で殺生を戒められていた時代、死んだ馬や牛の処理を生業としていた人々がいる。彼らは「穢多」と呼ばれて差別されてきた。不治の病を患ったり、生まれつきの奇病を抱えた人々が隔離されできた集落に、死肉の加工などの穢らわしい仕事を押し付けられ、差別されるようになる。やがて彼らの住む区画は「被差別部落」と呼ばれるようになった。

              社会から差別を受けた人々は、普通の人が残したり、捨てたものを食べて命を食い伸ばしてきた。牛や馬の臓物を揚げたり、煮凝らせたものはごちそうだったらしい(そういえば、馬肉は「サクラ」鹿肉は「モミジ」猪肉を「ボタン」と呼ぶのは、表立って流通できない獣肉を扱う彼らの間での隠語だとか)。差別から生まれた彼らの食卓。本来「ソウルフード」とは、奴隷時代の黒人達の日常食のことを指す。

              「被差別の食卓」には、世界中のいろんな「ソウルフード」が登場する。「え?これもソウルフードなの?」と思うものから、決してガイドブックに紹介されないようなメニューを、著者自ら現地に赴き体験してきた記録だ。これを読んだ後に、群馬県民のソウルフードはペヤングだ!などと言っても冗談にもならない。ソウルフードは本来、恨み、悲しみ、嘆き、それでも生きるため喉に押し込んできた屈辱の味なのだ。

              本書で驚いたのは、ネパールのくだり。カーストが根深いこの地では、ヒンズー布教の一環として意図的に差別が作られたということ。ヒンズーでは牛は神様だから食べない。逆に言えば、牛を食べるということは相当な禁忌を犯していることになり「穢れ」の対象となる。さらに逆に考えれば、牛を食べる人々を「穢れ」と虐げれば、誰も真似しようとはしない。そうやって意図的に差別をつくることで、皆ああはなるまいと禁忌を守るようになる。巧妙だ。

              ところで、世の中には「食べるために殺す→かわいそう→食べない」という考え方でもって、熱心に活動する人達がいる。それは結構だけど、ここに差別が生まれるヒントがあるように思えてくる。食べ物の価値観や文化が異なる人々を受け入れられない者同士が集まって社会的に強い力を持つようになると、意図的に「社会悪」を仕立てあげ、かれらを虐げることで自己らのアイデンティティを確立する。被差別部落や黒人奴隷、カーストと同じロジックだ。日本では数年前から禁煙ブームが起こった。現在タバコは完全に「社会悪」と認識され、愛煙家は肩身の狭い思いをしているが、これも差別が生まれる構造とよく似ている。

              さて、今日も豚肉を殺して、子どもたちをおなかいっぱいにさせてくれたのは誰か。答えの中には「食肉センター」で働く公務員の方々をはじめ、多くの食肉関係者が関わっているだろう。動物を苦しめることなく絶命させ、安全でおいしい食肉に加工するその優れた技術が、高度経済成長を生きる多くの日本人の胃袋を支えてきた。食べるために殺される動物たちに「かわいそう」と同情する権利は、壁の中で、血の臭いも悲鳴も漏らすことなく仕事を続ける彼らにしかない。


              評価:
              本橋 成一
              平凡社
              ¥ 3,024
              (2011-03-12)


              圧力鍋「ラゴスティーナ ドミナ」がもう魔法っていうレベルじゃないんですけど

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                圧力鍋という調理器具に抵抗がある。調理の基本は「焼く」「茹でる」「煮る」「蒸す」「揚げる」といったシンプルな工程の組み合わせで、使う器具もシンプルだ。このうち、加圧という現象は「煮る」「蒸す」等の際に、ごくごく自然に発生する。これを蓋の重さでコントロールし、内部に圧力をかければ火の通りが早くなる事実は「蓋」が発明された時点で知られていたに違いない。ところが、有史以来「2気圧近い圧力で調理する」ことはなかった。圧力鍋が発明されるまでは。

                Wikiで調べてみると、電子レンジが発売されたのが1947年なのに対し、家庭用圧力鍋は1938年とほぼ変わらない。世界中で一般家庭に広く普及してる調理器具でありながら、生まれてからまだ1世紀経っていない。「加圧調理」は、ものすごく新しい調理方法なわけだ。

                その効果は、煮崩れないとか、味がよくしみ込む、などもあるが、何より「調理が速い!」これがタイムイズマネーを叫びながら高度経済化していく社会にドストライクした、という点は、電子レンジと同じロジックと考えていいだろう。これが気に食わない。古くから使われる調理器具は「もっとおいしくしたい」「一度にたくさん同じ味付けで提供したい」というようなポジティブ思考で発展してきたのに対し「調理場に立つ時間を節約して、そのぶんテレビや映画鑑賞、ドライブやショッピングがしたい」という、食に対してネガティブな発想から普及に至っている

                そもそも、できあがった料理に不自然なモノが多い。骨まで食べられるサカナ。芯まで食べられるキャベツ。箸でホロホロとほぐせる塊肉…。いずれも1気圧下で再現しようとしたら、いったい何日煮込めばよいのか分からないような料理が、30分程度でできあがる。こんなこと、魔女や魔法が信じられている時代だったら「あら便利」では済まされなかったはずだ。

                そして何より、圧力鍋は怖い!既に「刃物」「可燃ガス」「マイクロ波」と危険なものに満ち溢れているキッチンに、さらなる危険を持ち込むことになる。そりゃあ、利用法を守って正しく使えば危険はないとか、安全装置が3つも4つもついているとか、頭では安全と思いたいが、フェスティバルのバルーンアートにさえビクビクする爆発物恐怖症の人間には、調理中、常に「プシュープシュー」と憤怒する鍋の利用など、なかなか踏み込めない境地なのだ。

                さらに言えば、普及しているほとんどの圧力鍋は「ダサい」。ステンレスの美しい胴体を蝕むように、黒い樹脂部分が寄生している。バランスも、本体に対しやたら取っ手が大きく不安定だ。

                そんなに嫌なら、使わなきゃいいじゃん。で済む話である。しかし、あえて言おう。羨ましい!と。さんざんディスった後だが、骨まで柔らかい肉のかたまり、素材のエキスを極限まで摘出したスープ、通常の器具では再現できない料理には憧れがある。しかし不自然、しかし旨そう、しかしダサい、しかし…。どうしたらいいんだっ俺は!?

                そんな葛藤が続くある日、なにげなく見ていた朝のテレビでインドの朝食を紹介。スパイスをふんだんに使った肉料理が手早く調理されている。圧力鍋で!?「なんだ、普通に圧力鍋使ってんじゃん!」伝統を重んじるネパールの一般家庭で当たり前のように圧力鍋を使っているという事実により、圧力鍋ブームが一気に加速。その日の午後には既にいくつかの商品をアマゾンのほしいものリストにスタンバイした。

                チョイスのポイントは「見た目」一択に絞りたい。安全性についてはどの商品も同じように安全で、同じように危険だ。容量や調理可能な料理にも大差はない。だけど、好きなキッチンに迎え入れるにあたって、ダサいのはどうにも許せない。

                そこで選んだのが「ラゴスティーナ ドミナ・ビアンカ」だった。



                ラゴスティーナというメーカー、知らなかったがイタリアでは有名な調理器具メーカーらしい。そのドミナは、落し蓋方式の家庭用圧力鍋。その限定版である「ビアンカ」は、通常黒い樹脂部分がビアンカ(白)となっている。黒でもそこそこにはカッコイイが、ビアンカは丸みを帯びた鏡面加工のボディに白が映り込んで、実にオサレだ。そういうのもあるのか!

                圧力鍋というと、本体よりデカくね?と思うほどゴッツイ蓋ユニットを想像するが、ドミナはかなり独特。閉じると真円の蓋が、ゆるめるとぐにゃりと内側に曲がるので、それを斜めに傾けることで取り外しする。2気圧近い圧力を支える蓋が、まるで下敷きのように柔らかいという設計に戸惑うが、「落し蓋方式」を採用したことでひどく頑丈。物理に詳しくないが、内圧を抑えこむ構造としてはもっとも合理的なように思える。しかも驚くほど軽く、開閉は片手でも行える。




                圧力鍋は「洗うのがメンドクセ」という意見を聞いたことがある。通常の鍋に比べ精密部分が多い圧力鍋はデリケートだ。もしかしたら、水がかからないように注意しなければいけなパーツなどもあるのかもしれない。
                ドミナは蓋もまるごと水洗い可能だ。食洗機にこそかけられないけど、フードプロセッサーよりは衛生的だ。構造も思っていたよりずっとシンプルで、劣化したパーツは交換もできる。

                さて、気になるのはそのパフォーマンスだが…。

                試しに「豚肩ロースの煮込み」を作ってみた。いきなりレシピにない料理だが、調理器具のポテンシャルを測るためにはまずごくシンプルな料理が望ましい。塩 を全体にすりつけた豚肩ロースを、野菜と一緒に煮る。そんだけ。もちろん、水分量や最大容量は取扱説明書をじゅうぶん読み、それに準ずる。

                加圧が始まってから、ひとまず20分後にチェック。減圧し、安全弁が降りたら蓋を開ける。500g以上あるロース肉のかたまりは、まるごといれたため表面こそホロホロとほぐれるが、さすがに中心はまだ固いようだった。さすがに過信しすぎか。

                再び蓋を締めて、さらに20分加圧。水は1リットル入れてあるので、計40分の調理でも空焚きの心配はないはずだ。20分後火を止め、10分ほど自然減圧。場合によっては水を足して、さらに20分煮ればイイ。そう思って蓋を開けてみると…。



                あれ、さっきまで見てた肉と違う!?うまく表現できないが「花が咲いた」ような形状にトランスフォームしている。この30分たらずの間に何があった!?試しにナイフを入れると、スッと入る。ほろっとほぐれる!成功だ。

                やっちまった…。イリュージョン使っちまったー!!

                鍋の中で今さら硬派を気取れるKY食材は存在しない。肉も、野菜も、見事に柔らかい。柔らかいのに煮崩れていない。これは、加圧したことで沸点があがり、100度以上で調理しているにもかかわらず煮立っていないためだ。ダイコンなんか溶けてなくなっていると思ったが、面取りもしてないのに形状を保ったままだった。重ね重ね言う。成功だ!

                しかし、課題も多い。味付けのタイミングがよくわからないのだ。いつもだったら煮立ったらまず砂糖、醤油、塩…のようにできるし、途中で味見もできる。火を止めた直後に追加で調味するといった下手っぴならではの応急対応ができたのに対し、圧力鍋はいったん加圧したら減圧するまで開けることはできない。

                従って、調味のタイミングは「加圧前」「加圧後の一時急冷時」「調理後」の3パターンだけだ。このうち、一番味がしみ込むのは「加圧後の一時急冷時」いったん減圧して調味したあと再加圧。そこから自然減圧する時が一番味がしみ込むと考えてよさそうだが、味見できないとはまた難しい。

                といっても、調味後は加圧せず、普通の鍋として調理することも可能なので、それは時と場合によって使い分けられるから、心配には及ばない。それより、食材に味がしみ込む余地が生まれる、その効果だけでもスバラシイ。

                結論、圧力鍋は超ステキ調理器具だった。というか、そんなこと知ってた。知らなかったのは、圧力鍋にも「ドミナ」のような、使い続けたいと思えるアイテムがあったということだ。あとは、調理中に「もうちょっと近くにいられるようにする」という課題を克服させすれば、この魔法の調理器具ともう少し仲良くなれる気がする。




                食べてはいけない

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                  ネーミングからは、よくありがちな危険食品啓蒙系の内容を想像したが、全く違った。「インドにポークカレーはあるか?」本書は宗教上の理由、あるいは倫理道徳的な理由で、食べなかったり食べることを戒めた人々やその文化、いわゆる「食のタブー」をテーマにしている。
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