Youtubeに視聴前CMが導入されてからしばらく経つが、導入当時から不快感を訴える声は多い。見たい動画が始まったと思いきや、全然関係ないCMが、へたをするとスキップできないまま15秒強制的に視聴させられることになる。
駒からひょうたんが出てきた気分だ。筆者もまた、率直に言って「うぜー」と感じてる一人だが、もっと客観的に見て、こんな広告システムがどうして成立ているのか?こいうことに、ある意味興味を感じる。
年中つけっぱなしで、早送りも巻き戻しもできないテレビ番組の合間合間に15やら30秒くらい余計な情報を挟み込まれるのは、慣れのせいもあると思うが、自然と受け入れられる。そもそもCMの時間の行動を強要されないから、そもそもCM内容を不快に思うまでもない。あるタレントが番組で
「CMの間にトイレを済ませましょう」と発言してしまい、処分を受けたという逸話があるが、多くの一般視聴者の心の声を代弁したに過ぎない。
ところが、多くのネットユーザーがご存知のとおり、こっちの世界ではそのへんの事情が全然違う。まず、インターネットはテレビと異なり、能動的に情報収集を行えるインフラだ。次の情報が取得できるまでの待ち時間の間、ユーザーはたいてい「待つこと」しかしない。さらに、ネットでは能動的なアクションに対してのレスポンスに厳しい。ウェブサイトが8秒以内で表示される時代に、15秒のCM(それも関心の低い内容)を強制的に流れたりしたら、たいていはイラッとさせられ、ひどく嫌悪感を感じる。ブロードバンド時代になってもバッファタイムを待てない
「僕の反応にガンダムがついてこない!」的なITニュータイプ世代の行動を妨げたりしようものなら、恨みを買うのは必至。よしんば商品に興味あったとしても、へたをすれば、愛想が尽きかけなない。このビジネスは、
成功のどれくらいの倍数で失敗しているのかと心配になる。
FLASHを使ったリッチコンテンツが大流行したとき(筆者もまさに当事者)、作る方としては「これが正しい」「求められている」と信じて疑わず、斬新奇抜なUIやユーザー行動を逆手に取ったクセのあるリッチコンテンツをバンバン作っていた。最初のうちは面白がられたFLASHサイトもマンネリ化してくると、ネットの声も冷ややかで
「見づらい」「わけがわからない」「正直うざい」「FLASHというだけで見る気が失せる」「クリエイターの自慰行為」といった、今思えばごくごく当然の意見にずいぶん悩まされた。FLASHコンテンツ撲滅に一役買ったのは、
スティーブ・ジョブズだけじゃなかった。なんのことはない、コンテンツ開発者自身であり、世論なのだ。
ところで、一時期流行ったFLASHサイトのようなコンテンツを、ただHTML5に置き換えて作るという、
なんの反省も先見の目も感じられない驚くべき案件に苦労しているクリエイターも多かろう。スマホシェアが爆発的に伸びる時代に、ダイナミック、情緒的、リッチ、サプライズ、インタラクションなどは、どれもユーザーの食べ飽きたキーワードだ。Googleはもう何年も前にウェブサイトはシンプルであるべきと明確に提唱している。
閑話休題、
ネット上のCMは「北風と太陽」にたとえることができると思う。強制的に見せよう、買わせようとすればするほどユーザーが離れていく図式は、服を強引に脱がそうとする「北風」を、必死に堪える旅人のイメージに近い。そもそもネット市民はバナーをはじめCM全体を快く思っていない。たとえば、このブログの記事を更新するたび「更新が完了しました」
ダイアログの大部分を占めるダイエット広告が出るが、たとえ僕がダイエットに興味あったとしても、ブログ執筆中にヘンな操作したら記事がリセットされるリスクを犯してまで
クリックするわけがない。このネット広告考案者は、そんなことにも気づかないのだ。
逆に広告を、コンテンツという形状で無償で提供する「太陽」になれれば、成功のチャンスはぐっと高くなる。ネット広告で注目を浴びようと思ったら「話題性」がひとつのキーワード、というのは、昔「バイラル」なんて言葉が使われるようになった頃からFaceBookやラインでシェアする文化が根付いた現代に至るまで、普遍的な共通認識だ。しかし、それについても「ステマ」という言葉が民放でもバンバン使われて以降ユーザーは随分厳しくなった。
「要するにさあ、どこからがCMなわけ?」情報の公共性・強制性を診断するスキルは、もう小学生にも備わっている。
そんな中、最近珍しくあるCMに関心した。CMのアプローチとしては極めてシンプルで、合理的。とくにバズっぽい仕掛けもない、むしろごく一般的な15秒or30秒のスポットCMだ。Youtubeでもよく流れているが、不思議と印象に残り、嫌悪感がない。それは「ワンダーコア」という腹筋を鍛える健康器具のCMで、タレントが転ぶ→ワンダーコアがある→上半身が起き上がる、という短いプロセスを3回程度繰り返す。そのたびにサウンドロゴが流れるが、なんともテンポがよく、わかりやすく、面白い。健康器具にありがちな、通販番組のようなゴリ押し感は全く感じられず、ニュートラルに商品紹介をしながら、平行してコンテンツとしての魅力も提供できている。それよりなにより、1プロセスが5秒くらいなので、Youtubeのスキップ可能になるまでの5秒のタイムラグに、
商品訴求が完結しているのだ。そのあと見るか見ないかは、完全にユーザー判断。もちろん、このタイプのCMが今までなかったわけじゃない。短い1プロセスをリズミカルに繰り返す手法は、佐藤雅彦さんのCMや「南天のど飴」など、しばしばお目にかかる手法だが、WEBの手法として
はっきり製作者の魂胆を感じたのはワンダーコアのCMが初めてだ。筆者だけでなく、ネットでもなかなかの好印象なこのCM、視聴者を騙そう騙そうとする仕掛けが多い中、しっかり「これはCMです」と銘打ってユーザーと真っ向勝負している感じが伝わってくる。こうなると、なぜか
バカ売れの予感は免れない。
ところで、CMの15秒という長さは、どうやって決まったか。実はこれ、CMがまだ一般的でない頃に決められた長さらしい。すこしでも割安感を出すため、当時としても長めの設定だったという。確かに、
商品と名前を出したら後なにすんの?っていう程度のリテラシーなら、15秒は十分長かった。それが今では15秒で完結できるように作るのがCMクリエイターの腕の見せどころみたいな風潮になり、まるで
旧約聖書が定めた不動の数字のように捉えてられているけど。
15秒という尺は
「詳しくはウェブサイトで」ができる時代の尺ではない、と思う。個人的にはネットでは5秒もあればじゅうぶんだと思うし、むしろ15秒以上の価値があるようにさえ思う。いっそのこと、
テレビCMを全部5秒にしてみたらどうだろう。番組の1分のインターバルに12本もCMが流れるわけだから、情報に飢える今の時代にもマッチするはず。そこから新しい仕掛けもうまれそうじゃないか。1本あたりの単価も安くなるから、中小が出稿しやすくなるメリットもある。
ところで、昔なにかで「テレビは番組も含めて、すべてCMになる」という予言を見たか聞いた覚えがある。今テレビ番組がほぼタイアップで成立している事情を知る人になら、この予言はおおむね的中したと解釈してよいだろう。視聴者がそれを受け入れたかどうかは別として。民放の信用が地に落ちる中、名誉回復の鍵は、「公共」と「誘導」のボーダーの透明化だと、個人的には思う。広告は、広告として勝負して、市民権を得るよう努力すべきであり、
なにがなんでも騙そうとする発想を止めなければ未来はない。消費者とWinWinの関係を約束できるか、証明できるか。今後のCM業界に期待したい。
などと講釈をたれながら、
しっかり広告を貼る筆者など、真っ先に裁かれてしかるべきである↓
|
評価:
---
ショップジャパン
¥ 14,300
()
|